心境
肥溜みたいな世の中でわずかに息をして生きている
あなたに選ばれる私でありたかった
札束が物を言う世界に疲れ果てた
↑ここまでを2020年に下書き保存してそのまま追いかけることをやめた私ですが2年の時を経て久々に新しく追いかける対象ができるかも!と思った時点でいろんな想いがヴワァアアアアーッと噴き出してきたので2年ぶりにはてぶに感情ぶつけますこんばんは
結局何かを追いかけるということはどの界隈でも私みたいな最終的にガチ恋リアコになる定めを背負った人種にとって「楽しいの皮を被った辛いこと」であることはもう明白でして
見返りを求めないことが本当の応援っていうのが美しくて理想的で平和なのかもしれないけど色売って綺麗に終わらせようなんざ虫の良い話じゃないかい?と思うのも事実で
どんなに応援してもどんなにお金落としても例え認知されようとも営業されようとも
結局その先には何も残らない。相手には相手の世界があって何をどれだけ積もうともそこに私は入れない。
これが事実。これを冷静に受け止め切れるようになるまでちょうどコロナ禍の2年ちょいかかった。
懲りずにまた別のコンテンツでいいなと思う人の動画なり曲なりを貪り漁っている私ですが、本格的に追おうかと思うのに前述の事実が頭に陣取ってブレーキになって追いきれない。
お金も貯まるし時間も無駄にしなくていい、健康的になったじゃん!って思えたら幸せなんだろうし本当に健康的なんだろうけど私のように10代の頃からずっと何かを追う日常を過ごしてきた人間がそれを辞めると無になるんですよね。まさに無。虚無。何をしていいかわからない。何をもって自分に幸せを与えたら良いのか、「楽しい・嬉しい」という感情をどのタイミングでどうやって摂取すればいいのかわからない。
でも無駄に歳を取った分冷静な頭もあるわけで例の事実は無視できなくて。結果、軽率に誰かを何かを推すことができなくなって。
すべてが停滞してしまった痛い女の出来上がり。
しかも冒頭に(2年前に)書いてた肥溜めみたいな世の中でわずかに息をして生きてる状況は変わらないわけで。
そんな環境下で息を思い切り吸える瞬間だけがなくなってしまって、追ったところで一瞬の幸せを引き換えに後々傷つくだけだよって考えが先行して動かないでいる。
昔みたいに何も考えずに真っ直ぐ対象を追えたら。
見返りを求めて傷つきながらも一瞬の幸せのためにリアルも含めてすべてを賭けられたなら。
大人になるってこんなにもつまらないことだったのだろうか。どの地点でどの選択を間違えてしまったんだろう。
冷静になることで停滞してしまった。
何も考えずにまた誰かを何かを全てを賭けて追いかけられるようになるのかな。それともこのままゆるやかに肥溜めのような世界でわずかに息して虚無を彷徨い続けるのかな。
どちらにしても生産性がないだけれど快・不快で考えるならたった一瞬であっても、後々不快に陥されることになっても、最高の快を得られる何かを推す行為を選んだ方が心は一瞬だけでも超絶健康になれるのかもしれない。
そのためにはさっきから言ってる当たり前の「事実」を無視するスキルを得ないといけないのだけれど。
もしくはそんな事すらどうでもよくなるほど惚れたらだな。